暮らし 「いい、加減。」なまつやまの暮らし

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私の「いい、加減」な暮らし編自然環境の良さと人との繋がり

国広一義さん
プロフィール

国広 一義さん [2012年4月 東京より移住]

ご出身:松山市 ご職業:専業農家

東京からUターンで、エンジニアから農業従事者をめざす

東京から松山へUターン

東京から戻ってきた直後、私は、旧松山市内に住んでいました。そして、旧松山市内と隣接する旧北条市や東温市などで農地を探し、いくつかの候補地から最終決定したのが、北条高田地区の農地でした。ちょうど、高田地区でも耕作放棄地の解消のため、その農地の管理者を探していました。そこに私が手を挙げた形となり、本格的に農業をするなら地域に溶け込むのが一番とも考え、ここ高田地区に移り住むことにしたんです。
農業は、2012年4月から始めました。同時に、農業未経験者であることから、年30回あった愛媛県の就農支援の講習会で農業の基本を学びました。
今は、農林水産省の支援制度を受けながら、経営を軌道に乗せるため頑張っています。

一度出てみて初めて判った松山の魅力

松山は自然環境がよく、豪雨などの災害も少ないということを実感しました。関東の冬は想像以上に寒いですが、松山は冬でも暖かくとても住みやすい街と思いました。一方、スーパーなどの商店には無料の駐車場が完備されているなど、車を所有する者にとってはストレスをほとんど感じることがない生活環境も整っていると思います。
松山市は、50万の消費人口を抱えた四国最大の街ですよね。大抵の物がそろう大きな商圏、その周辺にある農、漁業の好適地、古くからある観光地、さらに市内から街が近い利便性など、全国でも希と言える住みやすい環境があふれていると思います。この環境があるからこそ、松山で農業をやってみようと考える事が出来たのかもしれませんね。
農業を始めようと考えたお話をしますと、東京で働いている時、生涯を東京で過ごすつもりでマンションの購入を考えていたんですが、訳あって断念したんです。このことが自分の生活を振り返るキッカケになったんです。エンジニアの生活は、成果主義で家庭を犠牲にし、休みも取れない環境でストレスに苛まれる日々でした。そんな生活を振り返る時間が出来たんです。
将来を冷静に考える時間を与えられ、熟慮していくうちに、松山で新生活に挑むチャンスと捉えることが出来ました。高齢化が進み耕作放棄地が増えている地域で農家になることが、生涯やり通せる仕事と思ったんです。そして何より、地域にも貢献できるというふうに考えたからなんですよ。

本格的に農業に携わり約1年半、エンジニア時代の不規則な時間とストレスに追われた生活はすっかりなくなりました。家族のために時間がしっかりとれるようになったのが何より嬉しいですね。

食べれる農業経営を目指します

5年をめどに、ブルーベリー40アール、イチジク20アールをメインに経営します。
さらに、ブルーベリー農園の一部を観光農園にし、甘くて風味のある“ホンモノ”のブルーベリーの味を、訪れてきた皆さんに知ってほしいと思ってます。
ここ高田地区には、焼き窯を持つ人や果樹、野菜栽培をする農家がいます。また、ホタルの里もあります。その方たちとの協働や地域の資源を活かして直売所を開いたり、イベントを催したりなど地域振興にも取り組みたいと思っています。
農業は、手を抜けば倍になってしっぺ返しがありますが、先手必勝で取り組めばほぼ計画どおりにやれます。「農業で飯は食えない」という話しを耳にしますが、儲けることのできる作物を選び、ちょっとした工夫で農業で飯は十分食えると強く思っています。

まずは地域とのコミュニケーション

農業を始めるにあたり私が揃えた機械は「草刈機」と「軽トラ」でしたが、トラクターなどの大型機械を貸していただいたりして地域の人に支えてもらっています。高田地区に移住して、地域の人たちとコミュニケーションを密にとることがまずは大事だと思いました。

今も、地域で行われる出役や行事ごとには積極的に参加しています。このことで、地域の人たちに自分をしってもらうことができるんです。

これはなにも北条に限ったことではなくて、社会生活を営む上で地域との交流は常に存在すると思います。その交流を新しい地域で大切にする事は地域を知ったり、自分を知ってもらうために最優先とするのが自然かもしれません。近所づきあいを大事にすると地域の方々からより一層の信頼を得ることができ、お互いを支えあう関係も深まると思います。

あなたのいい、加減教えて下さい!